ICO

  • ICO(音あり)

「物語」ですねー。古城を舞台とした、少年と少女の物語。終わったときは、一本の映画を見終えたような、一冊の本を読み終えたような、そんな気持ちになりましたが、しかし ICO が紛れもなくゲームであるのは、この物語を作り上げたのは自分(プレイヤー)であるということです(大枠としての「シナリオ」はありますけど)。

感情移入できるかどうか。この一点に全てがかかっているでしょう。もっと限定して言うと、ゲーム的な条件を抜きにしても少女を守りたいと思えるかどうか。
数少ないイベントを除いてメッセージが一切表示されないのも、基本的にBGMは自然音・環境音のみなのも、圧倒的な存在感を誇る古城も、画面上にパラメータなどは一切表示されないのも、絶妙な「見せ方」をするカメラアングルも、「少女と手を繋ぐ」ことすらも、全てはゲームへの感情移入を促すための手段に過ぎないとさえ思えます。

結果、「影」が現れたときの恐怖や少女と離れているときの不安、少女の手を取ったときの安堵感などがとてつもなくリアルに感じられました。だからこそ、「影」が現れたときは死にもの狂いで追い払ったし、隣の部屋から少女の悲鳴が聞こえたときは全速力で駆け戻った。できるだけ手を繋いで、歩いた。ICO において本当にすばらしいと思ったのは、登場人物のセリフやムービーといった「映画的」な演出を極力抑え、それをプレイヤー(の想像力)に委ねたこと、そしてプレイヤーが自然に「それ」をできるような世界を作り上げたことです。別に少女に関わることに限らず、例えば「高所で足がすくむ」(マジで恐かったです…)とか、「見晴らしがいい場所でちょっと休憩」とか、全部ゲーム的なことの関わってない、言わばプレイヤーの作り出した演出ですよね。ここまで引きこまれたゲームはひょっとすると初めてかも。

もし、ICO を冷静に、ゲーム的な面から眺めると、アクション・パズルゲームと言えるでしょう。しかしその見方をした場合、ICO は悪くはないけどすばらしい出来でもありません。そういう見方をするのはもったいない、と思います。ICO はあくまで「アドベンチャー」ゲームであり、アクションも、パズルも、それを構成する「要素」にすぎません。

「ICO」というゲームには最小限の「舞台」しか用意されていないけれど、無限の可能性が秘められています。それを引き出し、「ICO」という物語を紡ぐのは、プレイヤーの役目。目に映るものではない「何か」を感じ取れるならば、きっと心に残る冒険になるはずです。いやほんと、ゲームやっててよかったぁ

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